僕の立場で世に発信して良い言葉なのか迷っていたこともあってfb限定公開にしていましたが、多くの人に故人の側面に触れて頂きたく思い、私事で勝手ですが公開させて頂くことにしました。多少の記憶違いや原文ママでの誤用もあるかと思いますがご了承ください。
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色々考えたけど、やっぱ書き留めておこう。
Twitterやブログでは言葉を選びすぎてしまうのと、拡散され過ぎてしまうので、ある程度クローズドなfbに思ったことをつらつらと書き残しておきます。時が経てばブログにも転載するかも。かなり長いですが読まれる方、お目汚し失礼。
フッキーさんこと吹原幸太さんが昨日5月17日未明に永眠された。
今朝、というか昼過ぎだったかに起きてまだ寝床から出ないうちに、スマホを手に取りなんとなくルーティンになっているTwitterを開きTLをボーっと眺めていると引っかかる文字列が目に飛び込んできた。
【吹原幸太が永眠いたしました】
ポップンの公式アカウントだったのでまた何かの冗談だろうと思い記事をクリックした。
前日に、来月控えていた劇団本公演の上演中止が発表されたばかりのページだったので、それに伴ったオンラインイベントか何かの報告かなと記事を隅から隅まで何度も読み直してみたが、どうやらタイトルそのままの通りのことだった。脳幹出血だったとのことで、かなり突然だったんだろう。正直、にわかに信じ難かった。
つい4日前にはTwitter上でやり取りをしていたし、LINEでもたまに連絡を取り合っていたので、文字情報だけで信じろというのもかなり無理があった。
ぼやぼやとした頭でTLを眺めていると、劇団員の皆さんの呟きや、ヤフーニュースやナタリーの記事が次々と流れてきて、文字情報がどんどん現実を固めていってなんだか言葉に出来ない不思議な気持ちになった。悲しい気持ちよりも現実感が無さ過ぎるのが正直なところで、これを書いてる今でも夢なんじゃないかと思っている。
夜になってふと思い出した。
昨年末、体調を崩されてお医者さんからお酒を止められたフッキーさんから【禁酒会】なるお茶会をしないか?と声を掛けられ、バンタムの細川さんと3人でLINEグループを作った。年末年始はフッキーさんはご親族関係で色々と多忙だったみたいで、その後それぞれの公演が落ち着いたらやりましょうかという話をしていた。今年の2月のことだった。3月にも多少のやり取りがあった後、このコロナ禍に突入してしまい、これは夏までお預けだななどとその時はぼんやり考えていた。
このグループLINEを思い出し、なんだか落ち着かず【禁酒会】に言葉を投げ掛けてみて、もちろん細川さんからしか返信はないんだけど、二人で「なんか現実感無いすね」みたいな話をして、最後に細川さんに「順番おかしいと思うわ、どう考えても俺が先やろ」と言われて涙が出てきた。そんなこと言わないでください、と思いながらもなんて声掛けて良いか分からず、二人でもまた、お茶会しましょうねと約束した。細川さん、勝手に文章載せてすみません。誰とも共有できなかった気持ちが細川さんと多少のやり取りをしたことでちょっと楽になった。ありがとうございます。
時が経てばどんどん忘れていってしまうので、フッキーさんとの思い出をここに書き溜めておこう。
初めて会ったのは2011年MU『今夜だけ』で共演した時だった。初稽古のエチュードで「右ひざを痛めてる」という謎の設定を引っさげてきて、めちゃくちゃ爆笑したのを覚えている。
翌2012年の本番まで、稽古後は太田守信さんと三人で毎日のように飲みに行っていた。やっすい焼酎で何時間も話した。
古屋敷くんと終電を逃して、フッキーさんと三人で深夜の環七だかを歩いたのもぼんやり覚えている。結局1時間くらい歩いたあと、タクシーを拾ってフッキーさんのお友達の家で飲みなおしたけど、あの方は一体誰だったんだろう。今となっては確認する術もない。
2014年にはコメフェスで戦うことになる。
ポップンには賞を総ナメされてめちゃくちゃ悔しかったのと、コータが打ち上げで号泣してたらしいという話はやたらと覚えている。あの後個人的に呼ばれて、コメフェスでやってた役良かったよと褒められたのが凄く嬉しかった。塩原君が主役の心を震わせるような作品が見たいと言ってくれたのも今思い出しても嬉しい。そんな作品も観てもらいたかったな。
翌2015年のコメフェスでは念願のグランプリを獲れたわけだけど、観に来てくれた回に限って僕がセリフを盛大に間違えてアドリブで繋いで、むしろそこが自由で良かったよと言われてなんとも言えない気持ちになった。
いつだかのハロウィンの深夜に、突然細川さんの家で飲み会やってるから来なよと誘われたこともあった。確か冨坂と、8割世界の雄太さんもいたような気がする。駅前のDORAMAでわざわざレンタルカードを作って、みんなでフッキーさんオススメの『TEAM AMERICA』を観て爆笑した夜だった。
渋谷で待ち合わせして二人で焼き鳥屋に行った時もあったな。
後からサイショさんが合流して、最終的にCR岡本物語さんの家で大画面でアクトレイザーをやった。岡本さん、アクトレイザーめちゃくちゃ上手くてみんな笑ってた。
担当した作品も何作も観たけど、どれも死生観を示したものが多く、早くに亡くしたお父さんのことや、お母さんのこと、フッキーさんが普段どんなことを考えているのかが切実に伝わってくる作品が多かった。
脚本を担当した映画版の『日々ロック』はシネコンで観た後、下高井戸シネマの舞台挨拶の回までわざわざ観に行ったのを覚えている。ポップンの皆さんも大活躍で、とても好きな一作だ。
一番覚えているのは2017年のこと。
自分がアガリスク休団をweb上で発表したその瞬間、真っ先に連絡をくれたのがフッキーさんだった。
実は2015年以降、自分はこれからの団体との付き合い方を悩んでいた時に、ポップンの竹岡さん関連のテキストをかなり掘り起こして読んでいた。ライターの横川さんの書いた記事などを読み、団体でやっていくこと以外にもお互いに良いと思える色々な道があるんだなと、フリーとして活動する勇気をもらったことをずっとずっと覚えている。竹岡さんはお話したこともお会いしたこともないけれど、学生時代からずっと一緒にやってきたフッキーさんと竹岡さんの姿に、勝手に冨坂と自分の姿を重ねて見ていたのかもしれない。
そのことが漏れ出ていたのかは分からないけど、フッキーさんから
「塩原くんの休団の発表を見て、俺、竹岡さんが退団した時のことを思い出しちゃって、連絡したんだよね(笑」
「君ら、何となく似てるとこあるからなー。俺は勝手にそう思ってたから。」
「ひとまずお疲れ様。あの時、竹岡さんには言えなかったから(笑」
ときた。
あまり本人の前では言葉に出来なかったのかしら。でもあれだけドラマに映画に売れっ子作家なフッキーさんが、飲みに行った時はいつも劇団員達のことを自慢する言葉が多く、それを聞いて僕は自分の事のように嬉しかったのを覚えている。
作家が映像で活躍して、劇団の活動が少なくなってくるパターンはよくあるが、どちらも本意気で両輪で働き続けるフッキーさんの姿は本当にかっこ良かった。
余談だが、僕は3年間フリーで武者修行したのち、今年2020年からまたアガリスクの活動に参加している。
そして偶然にも竹岡さんも8年ぶりにポップンへの出演を控えていたところだった。
どちらも公演は中止(延期)になってしまったわけだが、これは両方ともコロナウイルスの感染拡大防止による中止なので悪しからず。
ポップンの皆さんやご家族の皆さんの気持ちを考えるとまだ言葉にすることが難しいけれど、フッキーさん、ひとまずはゆっくり休んでください、おつかれさまでした。ありがとうございました。
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以上、稚拙な長文お読み頂きありがとうございます。
改めてご冥福をお祈りいたします。
塩原